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大阪高等裁判所 昭和55年(く)4号 判決

少年 N・T(昭三九・一〇・八生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、附添人○△○、同○△○○連名作成の抗告申立書(ただし、同申立書の「抗告の理由」中第二(一)は、後記抗告申立補充書(六)によつて撤回された。)、附添人○△○作成の抗告申立補充書及び抗告申立補充書(二)ないし(六)各記載のとおりであるから、これらを引用する(ただし、抗告申立補充書(四)において、社会記録の閲覧を拒否した原審裁判官の措置は法の下の平等適用の原則に反すると主張する点は、抗告申立期間経過後の主張であるから、これを除く。)。

抗告趣意中傷害致死に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原決定は、「少年及びAの両名は、同級生D(当時一四歳)が約束どおり借金の返済をしないことや遊びの時間を守らないことに立腹し、同人に制裁を加えることを共謀し、昭和五四年一一月一五日午後三時五五分ごろ、京都市○○区○○○△△△町×番地少年方階下奥六畳間において、プロレスでいう逆えび固めで交互に仰えつけて暴行を加え、もつてDをして胸腹部圧迫によるシヨツク死に至らしめた。」旨の事実を認定しているが、(一)少年は逆えび固めをプロレスの技と認識していたものであるから、暴行の故意があつたとすることは甚だしく疑問であり、(二)Aに続いて少年が逆えび固めをしたときには、被害者はすでに死亡していたことが認められるので、少年の行為と被害者の死亡との間には因果関係が存しないし、(三)少年は逆えび固めをするに先立ち、Aが被害者の承諾を得ていることを認識しているのであるから、少年が違法性の認識を欠いたことには相当の理由があり、以上の点から少年に傷害致死の事実を認定した原決定には重大な事実の誤認がある、というのである。

所論にかんがみ記録を調査して検討するのに、少年及びAの司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、少年は、本件当日の午後三時半ころ、自宅でAと遊んでいるうち、Dに遊びに来るように電話をし、同人の来るのを待つ間に、Aに対し、Dが借金(「カブ」と称するトランプ賭博で負けた金員や立替金などを指す。)を返さないうえ約束を守らず嘘をつくので腹が立つている旨言つたところ、Aは「俺も腹が立つている。Dが来たらボストンクラブ(逆えび固め)をかけてやろうか」と言つたので、これに賛成し、Dが来たら逆えび固めをかけて同人を痛めつける話がまとまつたこと、Aは本件以前にもDに対し約束を破つたなどの理由で六回逆えび固めをかけたことがあり、うち二回はDを気絶させており、少年もDが気絶するのを一度目撃していること、本件当日午後三時四五分ころDが少年方に来るや、AはDに対し「お前またよう嘘をつくようになつたなあ、逆えびでもしたら嘘つくのが直るのと違うか」と言つたところ、Dは嫌がつていたが、Aに「お前嘘をついたら逆えびしてもよいと言つたやないか」と言われるに及び、「そんならかまへん、すんだら俺にも四の字固めをさせてくれ、あまりきつくせんといてくれよ」と言つてしぶしぶ逆えび固めに応じたこと、まずAがDに逆えび固めをかけたが、Dは「ウー」とうめき声をあげて力が抜けたようになり、口からあわを出したので、少年が顔の下に新聞を敷いたこと、Aが技をやめたときには、Dは気絶したように物も言わなくなつていたこと、Aは身長一八〇センチメートル、体重七五キログラムであるのに対し、Dは身長一六〇センチメートル、体重四三キログラムであつたこと、少年はAに続いて右のような状態になつているDに対し同じく逆えび固めをかけたが、AはDの気絶状態が長いのに危険を感じて少年にやめさせたこと、その後少年とAはDに対し人工呼吸などを試みた末、午後五時半ころ病院に運んだが、同人はすでに死亡していたことがそれぞれ認められる。

右の認定事実に基づいて考察すると、少年とAがDに逆えび固めをかけたのは、単なる遊びではなく、両名が予め相談のうえDに制裁を加えるためにしたものと認められ、両名の間にDに対する暴行の共謀があつたことは明らかである。Dは後で自分にも四の字固めをさせてくれと言つてしぶしぶ逆えび固めに応じたものであるが、これは同人が少年及びAに対し借金があるうえ約束を守らなかつたこと等からやむなく応じたものと考えられ、自由な意思に基づくものか甚だ疑問であるうえ、D自身「あまりきつくせんといてくれ」と言つているとおり、同人が承諾した逆えび固めは軽度のものに限られ、気絶するほど強度の技を承諾したのとは認め難いのである。少年とAはDに対し前示のとおり制裁を加える目的で気絶するほど強度の逆えび固めをかけたものであるから、被害者の承諾による違法性阻却事由が認められないのはもとより、少年において被害者の承諾があると信じていたとは認められず、少年に違法性の認識がないとは到底言えない。つぎに、医師△○○○作成の死体検案書には、発病から死亡までの期間は五分位と記載されているが、DがAと少年のかけた逆えび固めのどの時点で死亡したかは明らかでなく、仮に少年が逆えび固めをかけたときにはすでに死亡していたとしても(したがつて、少年の暴行とDの死亡との間に直接の因果関係が認められないとしても)、右のとおり少年とAとの間に暴行の共謀がある以上死亡の時期は本件傷害致死罪の成否に影響を及ぼさない。

以上のように、少年に対し傷害致死の事実を認定した原決定には所論のような事実の誤認はなく、この点に関する論旨は理由がない。

抗告趣意中法令違反の主張について

論旨は、要するに、(一)本件担当の調査官が少年に対し観護措置期間の後半に少年院送致を申し渡したが、これは少年審判規則一〇条の趣旨に抵触するおそれがあり、(二)原審附添人(当審附添人と同じ。)が昭和五四年一二月一八日原審裁判官に対し調査官作成の調査票、少年鑑別所作成の鑑別結果通知書など社会記録の閲覧を求めたところ、原審裁判官はこれを拒否したが、この措置は少年審判規則七条二項に違背し、少年保護事件手続における附添人の地位にかんがみ適正手続を定めた憲法三一条にも違反するもので、右(一)(二)の各法令違反はいずれも決定に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、まず右(一)についてみると、本件担当の調査官が所論のように観護措置期間の後半に少年に対して少年院送致を申し渡した事実を認めるべき証拠はないから、所論は前提を欠き失当である。つぎに、右(二)について検討するのに、少年審判規則七条二項にいう「保護事件の記録」は、法律記録と社会記録の両者を含むものと解すべきである。同条は法律記録と社会記録とを区別していないし、実質的に考えても、社会記録は少年要保護性の判断に必要な資料を編綴したものであるから、少年に対し適正な保護処分が行なわれるために協力すべき役割をもつ附添人がこれを閲覧してその内容を吟味し、処遇について適切な意見を述べるのは当然のことと考えられるからである。もとより、社会記録の性質にかんがみ、その閲覧によつて得た情報の取扱いには慎重な配慮が望ましいが、そのことは審判開始決定後において附添人に社会記録の閲覧を拒否する理由とはならない。

これを本件についてみると、原審記録及び当審における事実調べの結果によれば、原審附添人弁護士○△○、同○△○○の両名は、昭和五四年一二月一八日原審裁判官に対し少年の社会記録の閲覧を求めたところ、原審裁判官は同日これを拒否したので、右○△○弁護土はそれを不服として翌一九日原裁判所に対し「釈明申立書並びに証拠開示申立書(一)」と題する書面を提出して社会記録不開示理由の釈明と右記録の閲覧を求めたが、原審裁判官はそれに応じないまま翌二〇日に審判を開いて少年に対し初等少年院送致を決定しているのであり、審判開始決定書の日付が審判期日と同じ昭和五四年一二月二〇日となつていることから、原審裁判官は右閲覧請求を少年審判規則七条一項の許可申請と解し、その裁量により不許可にしたものと見られなくもない。しかしながら、右のように審判開始決定書の日付は昭和五四年一二月二〇日となつているけれども、原審裁判官は少年の保護者N・Gから同月一〇日に審判期日請書を徴しており、その請書には「少年に対する傷害致死保護事件について指定された審判期日昭和五四年一二月二〇日午後三時〇分に京都家庭裁判所へ出頭致します。」と記載されているのであつて、原審裁判官は少年の保護者から右の審判期日請書を徴することによつて外部に審判の開始を告知したものと認められるから、右請書を徴した昭和五四年一二月一〇日には本件について審判の開始を決定していたものと解すべきであり、審判開始の決定書を後日審判を開いた日付で作成したものと認めるのが相当である(審判開始決定と審判開始決定書の作成とは別個の問題であるから、前者と後者の日が異なつても差支えはない。)。そうすると、審判開始決定後である昭和五四年一二月一八日に附添人からなされた社会記録の閲覧を拒否した原審裁判官の措置は、明らかに少年審判規則七条二項に違反するものと言わねばならず、原審の審判手続には法令違反がある。

しかし、右の法令違反が保護処分の決定に影響を及ぼすか否かは具体的に検討すべきであり、本件の場合、当裁判所は、附添人に対し、少年の本件社会記録を閲覧して反証反論を提出する機会を与えたのであつて、その結果を参酌しても、後に示すとおり、右の法令違反は原審の保護処分の決定に影響を及ぼさないと認められる(附添人は、社会記録を閲覧した後の意見で、社会記録中に本件傷害致死事件を大きく報道した新聞記事の切り抜きが編綴されていることを予断資料の典型であると非難しているが、右新聞記事の切り抜きは、事件の社会的反響を知る一つの資料として編綴されたものと考えられ、それ自体不当視することはできない。)。所論は、更に社会記録の閲覧を拒否した原審裁判官の措置は憲法三一条に違反すると主張するが、仮にそれが同条に違反するとしても、右の場合と同じく原決定に影響を及ぼすものではない。結局、この点に関する論旨も理由がない。

抗告趣意中処分不当の主張について

論旨は、要するに、少年を初等少年院に送致した原決定の処分は著しく不当である。というので、記録を調査し、附添人が当審において提出した書証及び意見をも参酌して検討するのに、本件非行のうち傷害致死の事実は、前示のとおり少年がAと共にDに対し制裁を加える目的でプロレスの逆えび固めという荒わざをかけ、その結果同人を死に至らしめた事案であつて、もとより被害者が死亡した事実は軽視できないが、同人の死亡は少年らの予想しなかつたことであるから、要保護性の判断にあたつてこれを特に重大視するのは相当でなく、少年の場合、Aのかけた逆えび固めによつてDが気絶状態であつたのにAに続いて躊躇することなくDに同じく逆えび固めをかけた点に注目すべきである。本件致死についてAの影響が大であつたことは所論のとおりであるが、少年の行為には原決定が指摘するとおり被害者の立場を思いやる暖い共感性の欠如が窺われるのである。そして、少年は、本件傷害致死事件までに単独で占有離脱物横領事件一件、B又はCと共に窃盗(万引)事件三件を犯しているほか、トランプによる賭博の問題行動も見られるのであつて、本件以前には補導歴がなく、学校、家庭で格別問題とされることがなかつたとしても、本件当時には以前潜在的であつた問題性が非行として顕在化したものと認めるのが相当である。少年の性格及び家庭環境は概ね原決定が指摘するとおりであるから、少年が反省悔悟していること、家族の受入れ態勢、保護能力さらには少年院送致の效果等所論の諸点を十分に考慮しても、共感性の伸長、規範意識及び自律性の涵養をはかると共に学業を修得させるため少年を初等少年院に送致した原決定の処分(なお、原審は一般短期処遇の勧告をしている。)は著しく不当であるとはいえない。この点に関する論旨も理由がない。

よつて、少年法三三条一項後段により本件抗告を棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 兒島武雄 裁判官 角敬 角田進)

〔参考一〕 抗告申立書

抗告の理由

第一原決定には重大な事実誤認がある。

(一) 原決定は非行事実として窃盗、占有離脱物横領の他に傷害致死を挙げている。この傷害致死事件が少年院送致決定の主要な原因となつていることは決定書により明かである。これについて少年N・Tに対し傷害致死を擬律したのは重大な事実誤認である。以下その理由を述べる。

(二) 構成要件該当性について

(1) 暴行の故意について

傷害致死罪においては行為の時に傷害若しくは暴行の故意があれば足りることは論をまたないが本件の場合少年N・Tは逆エビ固めをプロレスリングの一つの「技」―柔道の延長―と認識していたものである少年N・Tは行為をする際「わしも逆エビ固めをしたことがないし教えてくれ………」と云つてAと交替しているのである。従つて傷害の故意はもちろんのこと暴行の故意があつたとすることは甚だしく疑問である。この面においても少年Aの場合と甚しく異相を呈しているといえよう。

(2) 因果関係について

△○○○教授の鑑定によれば、被害者D少年の傷害発生から死亡までの時間は五分位とされている。他方少年N・Tの警面調書、検面調書及び少年Aの昭和五四年一一月一五日付警面調書によると先ず少年Aが五分位被害者に逆エビ固めをかけたところ被害者は気絶し、その後少年N・Tが代つて逆エビ固めをしているのである。当時少年N・Tは足をケガし、指をケガしていたことも注目されねばならない。逆エビ固めも強力であつたかすこぶる疑問視されるからである。

以上から少年N・Tが逆エビ固めをしたときには、被害者は既に死亡していたことが認められるのであり、少年N・Tの行為と被害者の死の結果との間には因果関係が存しない。

(三) 違法性について

逆エビ固めをするに先立ち、少年Aは被害者の承諾を得ていることを少年N・Tは認識していることである。而も被害者は「あとからわしにも四ノ字固めをやらしてな」と述べて自らうつぶせになつていることを少年N・Tは認識しているのである。

右のような状況の場合、原決定理由は一方的(少年Aに対するものなら肯定しうるものの)な判断といわなければならず少年N・Tの違法性認識の欠如には相当な理由がある。

(四) 以上のとおり構成要件該当性、違法性の点より少年N・Tを傷害致死に認定したのは事実誤認があるといわなければならない。

第二原決定には決定に影響を及ぼすべき法令違反がある。

(一) 少年審判規則第一条二項は「調査及び審判その他保護事件の取扱に際しては常に懇切にして誠意ある態度をもつて少年の情操の保護に心がけ、おのずから少年及び保護者等の信頼を受けるように努めなければならない」と規定されている。

しかし本件においては以下に述べられるように右法の趣旨を逸脱していると思料するものである。

第一は、裁判官は少年鑑別所の行動観察記録については決定言渡まで読了していないことを認めていたものである。従つて審判廷で少年院送致の決定の理由言渡においては何ら言及していなかつた。しかるに決定書にはN・T少年について極めて悪い報告がなされている形で引用されている。あとから理由が書き加えられたというしかないのである。更に少年審判規則三五条において「保護処分の決定を云渡す場合には少年及び保護者に対し保護処分の趣旨を懇切に説明し、これを十分に理解させるようにしなければならない」とあるが本件の場合共犯者Aとの異同に一切触れず、少年N・Tに対する悪い材料のみを遂一あげることのみに終始したものである。裁判所と在廷していた教育関係者、保護者との間の異和感は甚しいものがあつたのである。少年を保護するという意味が問われているといえよう。

(二) 少年審判規則第一〇条の趣旨に低触する恐れがあると思料する。本件において附添人は少年N・Tの調査官の記録並びに鑑別書の報告を閲覧したい旨裁判所に再三に亘り請求したものである。

その理由は少年鑑別所に観護措置をうけているN・T少年が調査官より少年院送致を既に右措置期間後半に申し渡をうけている事実があつたからに他ならない。一つは調査官の片寄つた報告がみられないか、二つは右申し渡しが鑑別所の行動観察に影響を与えないかということであるからである。

そうとすれば重大であるので附添人側で最少限吟味の機会を与えられたかつたものである。決定書の交付をうけて、はじめて「鑑別の結果」が判明したものであるが現在に至るまで納得のいかないまま初等少年院送致決定を受けたものと確信している。

ここに適正手続の精神が片鱗もみられていないといつて過言ではないと思料する。

第三原決定の処分は著しく不当である。

(一) 原決定によれば「Aの荒らわさにより被害者が抵抗する力を失つていたにもかかわらず、少年N・Tが重ねて同様のわざを掛けようとしていること及びそれらの結果被害者の死亡という重大な結果が生ずるまで自分のなした行為が如何に残酷危険性の高いものであるかと云うことに全く気がつかなかつた」とし「そこに少年の価値観の偏り被害者の立場を思いやる暖かい共感性の欠如」がうかがえるとし少年院送りの結論を導き出している。

しかし、原決定が認定している前提事実はそのとおりあるとしてもそこから直ちに少年N・Tの価値感の偏り共感性の欠如の結論を導き出すのは短絡にすぎるのである。原決定は結果の重大性にひきずられすぎているというしかない。

少年N・Tが被害者の気絶に素朴に驚かず本件の結果が発生してはじめて事の重大さに気がついたのは事実であるがそれは少年N・Tが柔道をしていたことと無関係でない。柔道をすれば気絶蘇生といつた事態に出くわす機会もあり、その慣れが本件発生に結びついたことを無視することはできない。又少年N・T自身が逆エビ固めをしたことについては自分自身が逆エビ固めをされた経験がなく、その苦しみを実感として感ずることが出来なかつたことによるもので、若し一回でも逆エビ固めをされてその苦しみを自らの痛みで感じていたなら少年N・Tの性格上本件行為をしていかどうか甚しく疑問である。これらのことを吟味することなくただちに共感性の欠如ときめつけるのは誤つている。

むしろ、少年N・Tの姉N・R子の上甲書によれば少年N・Tは気のやさしい子で姉の子を可愛がり、他の子も大切にする少年であつたことが伺われることやテレビを見てボロボロ涙を流したりする面もあつたのであり、共感性の欠如、価値感の偏りとはおよそ離れた人格形成がうかがえるのである。この点抗告人N・Gの見方とも一致しているのである。従つて原決定は生じた重大な結果から少年の性格意識等を一定の方向に結論づけ、他の要因を全く考慮の対象に容れないという致命的誤りをおかしている。調査官にしても僅か数時間の面接でどただけのものが把握できるのか又、裁判官とてどれだけ正確に一人の人間の性格を診断できるというのか、その点一五年間守り育てた肉親の目に及び得るといえないのではなかろうか。

(二) 原決定は、少年N・Tの父親に保護能力を期待できないと認定しているが誤つている。

(1) 確かに父親は厳格でいわゆる子供を甘やかすタイプではない。例えば中学の入学式の際、校長が派手な服装はさせないで欲しいと訓示したのを聞き中学三年間はきつちり先生の教えを守らせようと決心し、少年N・Tが派手なものを着たがつても一切許さず髪も散髪屋に電話して短かく刈るように指示を与えるなど配慮してきたもので、少年からみれば「融通」のきかない父であつたかも知れない。しかし基本的には父視の教育方針は間違つてはいないのであり、これを促えて原決定が「融通性の欠おる教育態度」ときめつけるのはあまりにも無責任かつ不見識と云わざるを得ない。問題はもつと別なところにある。それは両親の健在する家庭であれば父親が多少きびしくても母親がその緩衡地帯の役割を果たし問題は生じないのであるが、不幸にして母親は少年の小学校一年生のときに死亡してしまい、いわゆる欠損家庭であつた点にある。

この欠陥を補うべく、これからは長女N・R子が少年の家に同居する態勢ができているのである。長女が帰ればその幼い子も当然少年N・Tと住むこととなり情緒的な交流は十分回復することができる。又父親自身今度の事件では一番ショックを受け、今までの教育方針に深刻且つ根本的な反省を果しており家族あげての態勢(少年のためなら転居も覚悟している)にあることから少年の保護能力は十分期待できるのである。

(2) 原決定は少年N・Tが中学二年までは特別に問題行動が認められない少年であつたことを認めている。A少年との交りがあつてはじめて窃盗その他の問題行動を起こしているのである。決定においてN・Tが被暗示的傾向が強く自律性が乏しいとしているが、今後A少年と交る機会はないことから、このことは払拭されることであり、又、一日中N・T宅には保護者等がいることから好ましくない(例えばトランプ遊び等)ことは防止することが十分可能である。要は父子家庭の欠損部分をどう補填していくかにあり、これを十分整備した体制にあることを明言しておきたい。

少年N・Tの家庭は、父が友禅工場に勤めているが借家住まいでどちらかといえは貧困の部類に属する家庭である。いずれN・T少年は就職しなければならないが、少年院送致の経歴は必ず少年の就職の際重大なネックとなることは火をみるより明らかである。就職に失敗した場合において少年院送致以上の打撃となる。

右の点を考慮するならばたとえ裁判所が短期間の少年院送致の勧告を行つたとしても処分の不当性は著しいものがある。

因みに少年N・Tの通つていた中学校の保護者の中から少年N・Tに寛大な処遇をしてもらうよう嘆願書を裁判所に提出しようとの提案が担任の先生になされたが被害者の両親の気持ちをはかり辞退したいきさつがあることを申し添える。その余については補充書を提出をする。

〔参考二〕 抗告申立補充書(二)

一 法令違反について

原処分は、少年審判規則第七条第二項の違背がある。

附添人は調査官の記録及び少年鑑別所が調査した記録の閲覧を求めたが裁判官はこれを拒否したものである。

少年審判の非形式主義のすぐれた制度を否定はしない。しかしながら現制度の下においても次の如き事項については裁判官すら自認しているところである。「少年に対する人格に関する資料といえども正確な事実・根拠の確実な証拠、そしてこれらに対する正しい評価を経てこそ役立つのであつて非形式主義が決して恣意的な認定を許すものではない。そこでその保証として、弁護人の介入による資料の客観化が必要となつてくるのである。単に事実認定の段階のみならずまさに処遇決定の段階における弁護人の役割も見逃せない重大性をもつのである。」(高井吉夫東京家裁判事「附添人制度と適正手続について」判例タイムス二八七号五九頁参照)

少年保護事件の手続構造において附添人の地位が種々論ぜられているものの仮に一歩譲つて少年事件に対して保護処分が適正に行なわれるための協力者にすぎないとしても「処分の適正」かどうか客観的に判断することは協力者の重要な任務と課題であることは否定しえない。いたずらに裁判所と対立することを求めるのでは決してないのである。この点から調査官等の人格に関する資料の閲覧は附添人の基本的活動にとつて最底限必要なことである。本件の場合正に「裁判所のすることは全て信用しろ」との態度に終始されては附添人制度の剥奪であり附添人による資料の客観化は全く果されず全く納得のいかないままの審判で恣意的な認定と考えさるを得ないのである。以上のように本件においては前記規則の違背があること、そしてこのことは憲法三一条の適正手続の規定にも違反すると思料するものである。

〔参考三〕 抗告申立補充書(三)

一 附添人は調査官に対し、「少年調査票」、「鑑別結果通知書(附添人がいう調査官の調査記録報告書、鑑別所の行動観察記録を指す)等の閲覧を求めていた(閲覧膳写票参照)ものの、○○裁判官の許可を得てもらいたいとの回答であつた。そこでやむなく、昭和五四年一二月一八日附添人○△○、同○△○○が京都家庭裁判所の判事室において○○裁判官に右記録の閲覧を求めたものである。しかし○○裁判官はこれを拒否した。そこで翌日、別紙のとおり「釈明申立書ならびに証拠開示申立書(一)」を提出し、右書面は同日受理したものである。

附添人としては非常に疑念のあるところであるが、裁判所は附添人○△○○に対し、右書面の撤回を求めたがこれを拒否した経緯があるほか、本件申立が抗告申立の重要な柱の一つであるに拘らず、裁判官は、この申立書を書記官に指示してこれを京都家庭裁判所の雑記録に編綴したものである。(大阪高裁の裁判官に面談して右申立書が抗告申立書の一件記録に編綴されていないことが判明したものである。)

〔参考五〕 非行事実の概要

一 少年A、N・Tの両名は、同級生のD一四歳が、約束どおり借金の返済をしないことや、遊びの時間を守らないことに立腹し、制裁を加えることを共謀し、昭和五四年一一月一五日午後三時五五分ごろ、京都市○○区○○○△△△町×番地N・G方階下奥六畳の間において、プロレスでいういわゆる逆えび固で交互に仰えつけて暴行を加え、もつて被害者Dをして胸腹部圧迫によるショック死に至らしめた。

二 少年N・Tは

(一)

1 B一四歳と共謀のうえ昭和五四年七月一〇日頃の午後三時三〇分頃京都市××区○○○△△△町××番地株式会社○○○△△店店長K三三歳方二階売場において同所に商品として陳列中の前記店長の管理にかかる男物ズボン(グレー色)一本時場四千八百円相当を店員の看視の隙に窃取した

2 昭和五四年七月一四日頃の午後三時前後頃前記○○○△△店二階売物において前記同様男物ズボン(クリーム色)各自一本宛計二本時価一万一千六百円相当を窃取した

(二) C十四歳と共謀して昭和五四年八月二〇日頃の午後一時頃前記○○○△△店二階売場において前記同様男物ズボン(クリーム色)一本時価五阡八百円相当を窃取した

(三) 昭和五四年七月上旬頃の午後三時三十分頃京都市○○区○○○△△町××番地○○○バッテイングセンター代表者△△○○方インベーダー遊技機付近の椅子に不詳の所有者又は使用者が置失した男物腕時計(セイコーLM三針)一個時価参阡円位を拾得しながら正規の手続を採らず、自己の用に供するため領得しもつて着服横領した。

〔参考六〕 少年調査票〈省略〉

〔参考七〕 少鑑別結果通知書〈省略〉

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